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2010年9月4日土曜日

三島 楽寿園


 JR・伊豆箱根鉄道三島駅から徒歩1分という交通至便の地にある、福祉施設っぽい名前の庭園。
もともとは小松宮彰仁親王の別荘&庭園として整備されたものが、その死後に李氏朝鮮の王族(大韓帝国皇帝高宗の七子)李垠の邸宅に、さらに地元の資産家の手に渡り、戦後に三島市に購入されて市立公園に、という流転の運命をたどる。
 広々とした日本庭園で大小の池に鳥が戯れているのはなかなかよろしい雰囲気だったが、池の水は湧き水の量の減少で近年では枯れ果てているのが普通らしい。それではねえ・・・。行ったのは「県民の日」で無料だったが、普段の入場料300円だったら入ったかどうか。

2010年8月10日火曜日

浮島の森


植物の遺骸が堆積して水上に浮かぶ島となり、その上の植物が生い茂っている。国の天然記念物らしい。スタンプの図柄は、沼に住む大蛇に呑みこまれた「おいの姫」らしい。
昔は何もしなくても浮かんで漂っていたが、開発が進むにつれて環境が悪化し、今では泥の浚渫や熊野川からの導水によってかろうじて「浮島」を保っている状態とのことだった。そこまでして守るべきなのかどうか、そもそもそういうことをして保っているものを「自然」と呼べるのかどうか

2010年4月30日金曜日

旧赤松家


幕臣の赤松則良が引退後に建てたレンガ造りの邸宅の一部が残って記念館になっている。
明治時代のレンガ建築と言えば、我らが知多半島の半田市にもカブトビールの半田工場がある。復刻版ビールの販売などいろいろやってるので、お近くに来た際はぜひ

旧見付学校



 磐田市に明治8年に建設された、日本最古の木造擬洋風小学校校舎。内部にはこの小学校と、明治~現代の学校に関する資料の展示が。
 どこかの伝統ある大学の本館といっても通用しそうな非常に立派な外観。明治6年の段階でこういうのを建てる資金と技術が地方の都市にもあるってのがすごい。教育にかける情熱と言うのも強かったのだろう

伊場遺跡資料館

弥生時代のよろい


脚付家型土器


浜松市中区にある、縄文時代から室町時代にわたる住居の遺跡。出土品を展示するちょっとした資料館の脇には、弥生時代の環濠や奈良時代などの住居が再現されている公園がある。桜がけっこうきれい

桶ヶ谷沼


行ってないけど、見付にスタンプがあったので獲得。多数のトンボが生息するのがポイントらしい。

2010年3月24日水曜日

道の駅潮見坂


浜松までのドライブの途中での小休止に。地場野菜、魚などの売店とちょっとした飲食店の並ぶ、言っちゃ悪いがどこにでもある感じの施設。トイレだけ済ませて早々に退散

2009年12月24日木曜日

東村山ふるさと歴史館


特に見たいものがあるわけでは無かったのだが、暇で運動不足だったので行ってみようかという感じで。見学後は「え、これで終わり?」というのが正直な感想。故郷の町立歴史民俗資料館って実はけっこうレベルが高かったのだなあと実感してしまった。

掛川城

掛川城本丸


掛川城御殿


帰省もただ普通電車を乗り継いでいくだけではつまらないが、本格的な観光もちと疲れる。どこか沿線でお手軽に立寄れるスポットはないかと探したところ、掛川城が引っかかった。
掛川城と言えば、大河ドラマで一時期話題になった一豊&千代が一時期本拠地としたところ。天守閣は当時のものはなく平成になって再建されたものだが、よくある鉄筋コンクリート+史実完全無視ではなく、往時の外観を重視した木造というのがポイント。当日はいい天気で、浜松市やら富士山やらがよく見えた。
もう一つの売りは、二条城、川越城、高知城と並んで御殿が残っていると言うこと。二条城みたいな豪華な建物を期待するとがっかりしてしまうが、数少ない当時の建築物なので貴重なのは間違いない。川越に言ったときは御殿が修築中で見損ねたので、今回生御殿を見られてまあ良かった。

2009年12月11日金曜日

江戸東京たてもの園


公式キャラクター「えどまる」 冬バージョン


光華殿(ビジターセンター)

 東京都全域から失われそうな建物を移築して展示している施設。江戸東京博物館の分室という位置づけのようだ。対象は江戸時代の農家から大正時代の銭湯やら邸宅までけっこう時代・ジャンルとも幅広い。ボンネットバスや東京の路面電車の車輌まであったり。「高橋是清邸」で「二・二六事件発生の部屋」なんてのまで見学できるのはちょっと感激する。

 このたてもの園もそれなりに広いのだが、べらぼうに広い小金井公園の中にあると小ぶりなものに見えてしまうから不思議だ。一つか二つを除いて全ての建物の内部を見ることが出来る。暖房の入ってるのは食堂・休憩室になってる一軒だけで、しかも内部見学の時は靴を脱ぐので冬は避けたほうが無難。じっくり見ると半日くらい?

 よく似たコンセプトの施設としては、愛知県犬山市の明治村がある。こちらのほうが建物の数も多いし、貴重さということを言うなら重要文化財クラスも数多い。ただ、あっちは交通の便があまり良くないし入場料が1600円もするから・・・。ちょっと気軽に行こうというには苦しい気がする。それに比べて江戸東京たてもの園は西武新宿線花小金井駅・JR中央線武蔵小金井駅からすぐで入場料も400円とお値打ち。企画展ごと、季節ごとに訪れてもいいくらいだ。ま、3月で東京を去るからもう訪れることもないだろうが。

2009年9月28日月曜日

東海道御油の松並木資料館


弥次喜多 ?

江戸時代の五街道の一つ東海道には各所に防風雪・日よけなどのために松並木が整備されていたが、明治以降は伐採されたり枯れたりで大部分が無くなってしまった。豊橋市御油附近にはその松並木の数少ない生き残りがあり、並木と御油の宿場町に関する展示をしている資料館がある。内部は狭いながらも松並木に関する展示のほか当時の宿場の復元模型・伝馬制に関する文書資料などなかなか内容が豊富だ。

2009年9月27日日曜日

転車台


武豊線はもともと貨物鉄道として建設されたもので、当初は現在の武豊駅からこの転車台があるところまで路線が伸びていた。その後現武豊駅以降は廃止となり、転車台も朽ちるに任されていた。しかし、平成11年に地元の小学生の手紙がきっかけで復元が決まり、現在は屋根付きのちょっとした広場のようになっている。

吉良町資料館


忠臣蔵のせいですっかり極悪人とされてしまった吉良義央だが、地元では名君として慕われていた。吉良町は今でもその辺にわだかまりがあるようで、もらったパンフレットの文言からもその辺のことが読み取れたり

博物館酢の里


酢のトップ企業で、各種調味料や納豆などにも展開を図るミツカンの企業博物館。本社の隣にある。見学は無料だが、事前の申込が必要。内部には江戸時代末期から現在に至るミツカンの酢作りの歴史が展示されていて、ガラス越しではあるが実際に酢を作っている現場も見ることができる。

博物館周辺には運河沿いの黒壁の建物、戦前にミツカングループの銀行本店だった建物などが立ち並び、酢の匂いとあいまって独特の雰囲気を醸している。これらは外だけ昔のままで、内部は全て近代的な設備と入れ替えてあるようだ。

しかし、今年の7月になって半田の工場設備を縮小・廃止して栃木等に移管するという発表が。博物館は維持する方針とはいうが、今後どうなるのやら。

廻船問屋武田家

スタンプ一つ目。当時使われていた帆船



スタンプ二つ目。枠が丸から四角になっただけでデザインは基本的に一緒

常滑市で江戸時代末期から明治初期にかけて廻船問屋の大手だった瀧田家の住宅を資料館にしたもの。帆船を4隻持ち、米などの物資の江戸~京・大阪間の輸送を行っていた。

内部には当時使われていた帆船の模型、船箪笥・金庫などけっこう豊富な展示がある。

2009年9月13日日曜日

東海市立郷土資料館・平州記念館

細井平州の顔

市内の古窯出土の鬼瓦

 知多半島の最北にある東海市は江戸時代の儒学者細井平州の出身地で、郷土資料館と平州記念館がセットになっている。儒学者といっても机上の理論だけの人ではなく、米沢藩主上杉鷹山に招かれて財政再建に貢献するなど、実務家としての才能も持ち合わせていた。

 米沢藩上杉家というのは、大河ドラマの天地人で話題の上杉家の子孫(養子をもらった関係で景勝と血縁はない)。ドラマの余慶が知多半島にも及ばないものかな。

東海市立平洲記念館・郷土資料館

半田市鉄道資料館

JR武豊線の国鉄時代の資料を、狭苦しい室内にたくさん陳列してあった。隣接する場所にはc11蒸気機関車も展示されていた。今はsl・展示資料ともに半田駅横に移転している

半田市/半田市鉄道資料館

2009年8月22日土曜日

建長寺


パンフレットに押したもの。

鎌倉市内には建長寺以外にも名の通った寺社がたくさんあるのだが、いちいち小額の入山料を払わなければならない。ちと面倒だし、小さいところはまあいいかとなってしまいがちだ。まとめて割引になるチケットなどあればいいのにと思ったり

高山市政記念館


明治28年から高山町役場(昭和11年から市役所)として使用されていた建物。高山市政の移り変わりに関する資料が展示されていたが、さほど興味がもてなかったのでスタンプを獲得して早々に退散した

2009年8月21日金曜日

一乗谷朝倉氏遺跡

朝倉氏遺跡出土駒


朝倉氏家紋

諏訪館跡庭園

山城の石製鬼瓦

越前に栄え織田信長に打ち滅ぼされた朝倉氏の本拠地一乗谷の遺跡。

朝倉氏が滅亡した際に織田氏に完全に焼き払われ、その後越前支配の拠点となるが、まもなく一向一揆に奪取される。柴田勝家が一揆を滅ぼした後は北庄に拠点が移り、一乗谷は自然に帰っていった。

繁栄していたところを信長に一瞬で全て焼き払われ、その後放置というのが良かったのか、良好な状態で保存されているようだ。建物の礎石のみが展示されているところと建物も復元されているところがあり、内部は当時の生活の様子が再現されている。一乗谷駅近くにはかなり充実した資料館もあって、満足度がなかなか高い。

メインは谷にある城下町と館跡だが、後背の山には一乗谷城の跡もある。気軽に登ってみたら思った以上に急峻かつ分岐点の多い山道で、危なく遭難するところだった