弥次喜多 ?
江戸時代の五街道の一つ東海道には各所に防風雪・日よけなどのために松並木が整備されていたが、明治以降は伐採されたり枯れたりで大部分が無くなってしまった。豊橋市御油附近にはその松並木の数少ない生き残りがあり、並木と御油の宿場町に関する展示をしている資料館がある。内部は狭いながらも松並木に関する展示のほか当時の宿場の復元模型・伝馬制に関する文書資料などなかなか内容が豊富だ。
弥次喜多 ?
江戸時代の五街道の一つ東海道には各所に防風雪・日よけなどのために松並木が整備されていたが、明治以降は伐採されたり枯れたりで大部分が無くなってしまった。豊橋市御油附近にはその松並木の数少ない生き残りがあり、並木と御油の宿場町に関する展示をしている資料館がある。内部は狭いながらも松並木に関する展示のほか当時の宿場の復元模型・伝馬制に関する文書資料などなかなか内容が豊富だ。
酢のトップ企業で、各種調味料や納豆などにも展開を図るミツカンの企業博物館。本社の隣にある。見学は無料だが、事前の申込が必要。内部には江戸時代末期から現在に至るミツカンの酢作りの歴史が展示されていて、ガラス越しではあるが実際に酢を作っている現場も見ることができる。
博物館周辺には運河沿いの黒壁の建物、戦前にミツカングループの銀行本店だった建物などが立ち並び、酢の匂いとあいまって独特の雰囲気を醸している。これらは外だけ昔のままで、内部は全て近代的な設備と入れ替えてあるようだ。
しかし、今年の7月になって半田の工場設備を縮小・廃止して栃木等に移管するという発表が。博物館は維持する方針とはいうが、今後どうなるのやら。
スタンプ一つ目。当時使われていた帆船
スタンプ二つ目。枠が丸から四角になっただけでデザインは基本的に一緒
常滑市で江戸時代末期から明治初期にかけて廻船問屋の大手だった瀧田家の住宅を資料館にしたもの。帆船を4隻持ち、米などの物資の江戸~京・大阪間の輸送を行っていた。
内部には当時使われていた帆船の模型、船箪笥・金庫などけっこう豊富な展示がある。
細井平州の顔
市内の古窯出土の鬼瓦
知多半島の最北にある東海市は江戸時代の儒学者細井平州の出身地で、郷土資料館と平州記念館がセットになっている。儒学者といっても机上の理論だけの人ではなく、米沢藩主上杉鷹山に招かれて財政再建に貢献するなど、実務家としての才能も持ち合わせていた。
米沢藩上杉家というのは、大河ドラマの天地人で話題の上杉家の子孫(養子をもらった関係で景勝と血縁はない)。ドラマの余慶が知多半島にも及ばないものかな。
誰もが知ってる名古屋城。スタンプは見つけただけで3つほど。もっとあるような気もする。
英語版 WELCOME TO NAGOYA CASTLE
天守閣登閣記念
名古屋城
天守閣とシャチホコという、みんなが持っているイメージそのまんまのスタンプ。まあ、「尾張名古屋は城でもつ」とか言うしな。城が無くなったら何が残るのか・・・
初代天守閣は第二次大戦の時に空襲で焼け落ち、今あるのは鉄筋コンクリート作りでエレベーター完備の復元天守閣。いくつかの櫓と門のみが焼けずに残って、重文に指定されている。御殿の復活はどうなるやら
トヨダAA型乗用車
G型自動織機
豊田紡織旧本社工場の建物を利用して1994年に開館したトヨタグループの博物館。
「繊維機械館」と「自動車館」に分かれ、機械や製品の実物を数多く展示している。
両方ともとにかく広いし、展示内容も特に技術方面で異常に詳しい。全てをちゃんと見ようと思ったら、多分開館時間目一杯使ってちょうどくらいだと思う。1400ごろからでは、駆け足でもとても見切れなかった。
旧東海銀行の時代から続く博物館。日本と世界各地の貨幣に加え、歌川広重の東海道五十三次も所蔵する。展示内容は日銀の貨幣博物館にも匹敵するのではないかと思う。
見学した当時は戦前に建てられた重厚な建物だったが、その後こぎれいな所に移転してしまったようだ。博物館というのは所蔵物と建物セットで価値があるのに、残念なことだ。
1922年に名古屋地方裁判所庁舎として建設され、以後長きにわたって名古屋地方裁判所・高等裁判書が置かれ中部地方の司法の中心地であった。
1979年の裁判所移転に伴い取り壊されかけるが、市民の要望を受けて保存を決定。名古屋市市政資料館となった。1984年には重要文化財指定を受けている (以上、wikipediaより)
まるで地図記号のようなデザインだが、建物の特徴をなかなか的確に捉えていると思う。内部の展示もかなり充実していて、そこら辺の観光地にある有料の資料館よりよっぽどいい
このブログの作者のもう一つのブログ。主に東京でやる短期バイトと、愛知県の実家で飼育するアゲハチョウの記録