2009年9月28日月曜日

東海道御油の松並木資料館


弥次喜多 ?

江戸時代の五街道の一つ東海道には各所に防風雪・日よけなどのために松並木が整備されていたが、明治以降は伐採されたり枯れたりで大部分が無くなってしまった。豊橋市御油附近にはその松並木の数少ない生き残りがあり、並木と御油の宿場町に関する展示をしている資料館がある。内部は狭いながらも松並木に関する展示のほか当時の宿場の復元模型・伝馬制に関する文書資料などなかなか内容が豊富だ。

2009年9月27日日曜日

転車台


武豊線はもともと貨物鉄道として建設されたもので、当初は現在の武豊駅からこの転車台があるところまで路線が伸びていた。その後現武豊駅以降は廃止となり、転車台も朽ちるに任されていた。しかし、平成11年に地元の小学生の手紙がきっかけで復元が決まり、現在は屋根付きのちょっとした広場のようになっている。

吉良町資料館


忠臣蔵のせいですっかり極悪人とされてしまった吉良義央だが、地元では名君として慕われていた。吉良町は今でもその辺にわだかまりがあるようで、もらったパンフレットの文言からもその辺のことが読み取れたり

博物館酢の里


酢のトップ企業で、各種調味料や納豆などにも展開を図るミツカンの企業博物館。本社の隣にある。見学は無料だが、事前の申込が必要。内部には江戸時代末期から現在に至るミツカンの酢作りの歴史が展示されていて、ガラス越しではあるが実際に酢を作っている現場も見ることができる。

博物館周辺には運河沿いの黒壁の建物、戦前にミツカングループの銀行本店だった建物などが立ち並び、酢の匂いとあいまって独特の雰囲気を醸している。これらは外だけ昔のままで、内部は全て近代的な設備と入れ替えてあるようだ。

しかし、今年の7月になって半田の工場設備を縮小・廃止して栃木等に移管するという発表が。博物館は維持する方針とはいうが、今後どうなるのやら。

廻船問屋武田家

スタンプ一つ目。当時使われていた帆船



スタンプ二つ目。枠が丸から四角になっただけでデザインは基本的に一緒

常滑市で江戸時代末期から明治初期にかけて廻船問屋の大手だった瀧田家の住宅を資料館にしたもの。帆船を4隻持ち、米などの物資の江戸~京・大阪間の輸送を行っていた。

内部には当時使われていた帆船の模型、船箪笥・金庫などけっこう豊富な展示がある。

2009年9月13日日曜日

東海市立郷土資料館・平州記念館

細井平州の顔

市内の古窯出土の鬼瓦

 知多半島の最北にある東海市は江戸時代の儒学者細井平州の出身地で、郷土資料館と平州記念館がセットになっている。儒学者といっても机上の理論だけの人ではなく、米沢藩主上杉鷹山に招かれて財政再建に貢献するなど、実務家としての才能も持ち合わせていた。

 米沢藩上杉家というのは、大河ドラマの天地人で話題の上杉家の子孫(養子をもらった関係で景勝と血縁はない)。ドラマの余慶が知多半島にも及ばないものかな。

東海市立平洲記念館・郷土資料館

半田市鉄道資料館

JR武豊線の国鉄時代の資料を、狭苦しい室内にたくさん陳列してあった。隣接する場所にはc11蒸気機関車も展示されていた。今はsl・展示資料ともに半田駅横に移転している

半田市/半田市鉄道資料館